皆さんにとって「良い音」とはどんな音でしょうか?
「ヴァイオリンは人の声を目指した楽器である」などとよく言われます。前回のブログでは「音楽を演奏するということはストーリーを語ることである」という話をしましたが、ほとんどの楽器演奏は「歌う」ことを目指している、とも言えると思います。「語る」こと、または「歌う」こととは具体的にどういうことか?についてはいずれまた皆さんと考えて行きたいと思いますが、今回はそれらの重要な要素の一つである「声」つまり楽器演奏で言う「音」について考えたいと思います。

人の「声」には、語っている話の内容とは関係なくその人の身体の状態や使い方、心理的な状態など色々なものが現れるような気がします。良い声の持ち主は身体全体がよく振動し周りの空気をよく振動させることができ、その「声」はフォーカスしていながら自由で拡がりを持ち、また同時に様々な種類のカラーやダイナミクスを表現できる可能性を常に内在している・・・そのような「声」には人の耳を惹きつける何かがあり、説得力があり、時に人の心を豊かにし、またある意味人を幸せにできる力もあるのだと思います。そしてそれは楽器演奏における「音」についても同じことが言えると思うのです。

良い「声」または「音」のために必要になってくる最も重要なキーワード、それは「倍音」であると僕は思います。無論このことに注目した人たちは昔からいたわけですが、特に最近になって新しい書籍などでも、よりこの話題が目に付くようになって来た気がします。人々がそれを求めているということで素晴らしいことではあるのですが、それは逆に言えば私たちが長い間それを「失っていた」ということを示しているようにも思えます。勿論それは、そこに常に存在してはいたのですが・・・

もしかしたら皆さんの中にはこんなイメージを持っている方が多いかもしれません。「古い録音」または「古い演奏」というものは学術的、歴史的価値としては素晴らしいけど、いわゆる「古臭くて」「遅れた」もので「モノトーン」であり、現代の演奏の方が「進んでいて」「カラフル」で「華やか」であると・・・

数年前、日本のとある御宅で素晴らしい体験をしました。それはかつての巨匠たちの演奏を、ある貴重な蓄音機をとおして現在考え得る最高の環境で聞けたということです。それまでCDでしか聞いたことがなかったある演奏の中に、そこにあるのははっきり分かっているのだけれど微かにしか聞きとれなかった「音」の色彩感と拡がりが、その蓄音機によって見事にくっきりと再現されていました。今まで自分がデールやペドロ、その他の現代の希少な素晴らしい音楽家達から直接聞き学んできた、ある種の倍音を豊かに含む「音」に関する答え合わせができたような思いでした。やはりかつては、こういう「音」で演奏する人達、違った音の聴き方をする非常に優れた人達がいたのだと・・・