「自然であるということ」

ここ数日ブログになにを書こうか、とめどなく今自分が言いたいことをずらずらと書いていた。内容はいろいろあるようにも見えるが、結局は身体と音楽が調和するということ、自然であるということについて書いている。おそらくこれからも色々な話題について悩みながらも書いていくことになると思うが、結局僕にとっての根本のテーマは常にこれなのだと思う。

今シーズン最後のIthaca, NYでのコンサートを終えマンハッタンへの帰路、のどかな田舎道を走りながら何気無くiTunesのリストに入っていたBeaux Arts Trioの演奏を聴いている。この辺りは冬が長く、いまやっと緑が芽吹き始め季節が急激に変化しているのが感じられる。自然のなかのエネルギーの動きは音楽そのものだとふと思った。そしてBeaux Arts Trioの演奏はそれを邪魔しない。決してのどかなだけじゃない。そのパルス(拍)のうごきも音の色彩もどんどん変化してゆくし、まるで人間が言葉を話すように常に何かをハッキリと語りかけてくる。無意味に音が並んでいたり、不自然な間や動きを見せる瞬間がひと時もない。

なぜ人は音楽をするのだろう。自分の芸術性や音楽性を実現するため、人の心を癒すため、誰よりも大きい音で速く正確に弾くため・・・これらのどれであっても一つだけにこだわっている限り”自然”ではない、つまりホンモノではないような気がする。会場の咳がうるさくて自分の音楽を邪魔されたと怒る人。聴衆の心理や心情を波立たせたり邪魔をしない耳触りの良い”リラックスできる音楽”ばかりを演奏しようとする人。あらゆる”競技会”に出て良い賞をもらうことばかりに没頭する人・・・

クラシック音楽が一昔前に比べ人気がなくなったと言われるのは、他に色々なエンターテイメントが増えたから、聴衆の選択肢が増えたからということはある程度事実であろうと思う。でも一番根本の問題は、結局はいまの音楽や演奏に、自然の中にみられるようなエネルギーの動きや変化、人の心を突き動かすような”力”がない・・・いや少なくとも減ってしまった。そういうことだろうと思う。

”自然’”という言葉の印象には、やさしい、変化が少なく静かである、ピュアである・・・というようなものがあるかもしれない。”調和”や”健康”もそうかもしれない。でも本当に自然で調和がとれている状態というのは、ただやさしいだけでも静かで変化がないわけでもなく、どんな風にも変化できるエネルギーの準備が内包されていて、とても力のみなぎったものでもあると思う。自然なものには人をただリラックスさせるだけではなく、人の心を動かす”力”がある。身体も音楽も共にそれをとりもどすこと、そしてなにより音楽家自身がその”力”を信じることができるかどうか。それこそが、人が音楽とともによりよく生きるために重要になってくる鍵だと今感じています。

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