軽井沢音楽祭③受講生はそれぞれ専門楽器のレッスンを複数回受ける他に、僕とのレッスンが基本に一回ずつ。さらに希望があれば僕の時間が有る限り追加レッスンも可。他の楽器奏者のレッスンでも受講者本人が了承すれば誰でも見学自由、というユニークなシステムでした。センスの良い人は誰の何の楽器のレッスンからでも、何か自分に通づるものを感じ取り、自分の奏法やレッスンにどんどん生かしているようでした。

それぞれの楽器特有の技術に関しては勿論僕は素人ですが、各々が先生方から「こういうことが出来なければならない」という課題をもらい、それをどう練習し実現していくのがより自然なのか、効率的なのか、音楽的なのか・・・などについて、身体の使い方(そして当然音楽的な視点からも。それぞれ切り離せないもの、というのが大事なところなのですが・・・)を通した視点で僕なりにアドヴァイスさせていただきました。幸いなことに生徒さん達にも、またそれぞれの専門の講師の皆様にも快くご理解ご協力して頂いたおかげで、たいへん有意義なものになったように思います。

殆どの生徒さんが身体の使い方を変えることにより、肉体的に”楽になる”ことを期待してレッスンにいらっしゃいます。当然それも大事な課題であり、極度の肉体疲労や痛みにたいする問題意識が低すぎるのは、現代のどこの音楽界でも見られる根本的な大問題です。しかし、レッスンでの生徒さんとのコミュニケーションやお互いの理解がよりうまく行った時には、更に目に見えて(耳に聞こえて)変化が現れます。肉体が楽になることに加えて、一瞬にして音そのものにそれに僕の視点から見れば音楽的にも変化が現れるのです。

これには楽器別による例外はなく、たとえパーカッションでも、クラリネットでも、チェロでも、より”全身”で演奏できれば出来るほど”より良い”振動、響き(音)、リズム、コーディネーション、フレージングを得られる可能性が高まるのです。その人の身体つまり個性なりに、です。パーカッション奏者の膝と股関節の関係。クラリネット奏者の腕と息の関係。チェロ奏者の腕の”始まり”の再認識。ヴァイオリン奏者の頭と顎の関係。頭、首、背中と骨盤の関係。そしてここにあげた全ての”関係”や”再認識”は、全ての人たちに関係が有るのです。

これらを学び知識として知るまででも大変なことなのですが、皆さん話を聞いているだけなら”そんなに良いのなら、知ってしまえばみんな天才じゃん?”と思うかもしれません。しかし何かを(再び)学び身につけ成長する、つまり自分を変えていくということはそう単純なことでもないのです。テレビ・ショッピングのようにはいきません。

(つづく)