音そのものに変化があった理由を説明する一つの現象として、僕の意見では倍音(その種類、量、多様性など)が増えたのですが、うまくいった時はその場で聞いていた全ての人たちがその変化を聞き分けられました。具体的に第何番目の倍音が云々、というところまで聞き分けられなくても、音により豊かな色彩、広がりが聞き取れ、より気持ちの良いバイブレーションを感じているようでした。これはどの楽器による演奏の場合でも同じでした。

問題はそれをどれくらい演奏している本人自身で実感できるかどうか。全く気がつかない人はいませんでしたが、本人よりもむしろ周りで客観的に音を聞いている人たちの方がよりその変化に驚いたり喜んだりしている、というケースも幾つか見られました。変化はあるけどそんなに大きな違いには感じない。または、ヴァイオリン弾きに多いのですが、局所的な筋肉だけを使って弓や指を押しつけて音を出していた時に比べて、耳元では音が小さくなったように聞こえる…ということもあるようです。(これについては”楽器の試奏の仕方”と絡めてまた改めて書きたいと思っています。)

客観的に他人のレッスンを見て聞いて、身体の使い方を変えていくことによりその人の音が、フレーズが、全身から醸し出している印象までもが変わっていくのを目の当たりにすることは、時には有益なことだ思います。特に他の楽器の演奏からだと、先入観や自分の今持っているテクニックに直結した身体感というようなものに多くの影響を受けずに、素直に目の前の現象を受け入れられるということもあるようです。もちろん自分の身体で実際に体感しない限り何も変わらないのですが。

どんな楽器の演奏でも人が身体(セルフ)を使って何かを表現するわけですから、大事なことというのは共通しているのだと思います。コンクールやオーディションに受かるために、それぞれ専門分野の”スタンダード”、”とりあえずこれだけ出来れば…”と言われているものをクリアすることも大事でしょう。でもそればかりにスタックしていることが、結果的に現在の音楽(界)の現状を作っている。我々はもうそこから卒業するべきではないでしょうか。

今回多くの方々のご理解とご協力によりとても有意義な機会が得られたこと、本当に良かったと思っています。横川晴児先生をはじめ、他の楽器の先生方にも大変感謝しています。でもまだ始まったばかりだと思っています。今回のような身体を通してお互いに聴き合い成長し合える場が、これからどんどん増えていくことを願っています。