この秋ニューヨークと東京で、短い期間に2つ続けて現代弦楽器製作者達による新作楽器の展示会を訪れるという機会がありました。それぞれの会場で繰り広げられていた楽器試奏の音の渦の中で、楽器の試奏の仕方とそれが楽器作りに及ぼす影響について考えていました。

我々演奏家にとって、現代の作曲家の作品を演奏会で取り上げ、共に刺激しあい成長しながら良い作品を後世に残していくことは、大変意義の有ることですし何より音楽が芸術として存在していくために必要なことです。それと同じように現代の楽器製作者たちと演奏家がもっとお互いを知り、協力し合いながら共に何かを作り上げていくことが、現代とこれからの”良い音・音楽”のために今まさに必要なことなんだと強く感じました。

どういった人たちが楽器職人になるのでしょうか。物作りの好きな人、手先の器用な人、木という材質が好きな人、造形美にたいする感覚の優れた人・・・色々な資質や興味、また動機などがあるでしょう。さらに、当然のことながら”良い音とは何か?”に強い興味を持っている人、出来ることならば自分で一音でもいいからその音が出せる人、少なくとも目の前の演奏家が何をしているのか理解出来る人、様々な奏法の違いによってどんな音が存在しうるのか発見していく、自分の耳を開拓していく・・・そんなことを”楽しめる”人。

”当然のことながら”と書きましたが、これは重要なことでありながらとっても難しく、一筋縄ではいかない事なのだとも思います。なぜなら物の形を綺麗に作る技術を得るというだけでも大変な才能と修練が必要になるでしょうし、当然のことながら第一の興味はそこに向かう傾向にあるでしょう。よって、それぞれの楽器職人が持つ奏法の知識や音の質に関する感覚は、今目の前にいて直接関わることのできる、数少ない演奏家の音・奏法に、強く影響を受けないではいられないからです。

同時にその一方で我々演奏家の感覚や奏法、選びとる音もまた、楽器職人の内なる耳で聞いている音、彼らの”身体”を通して具現化された”仕事”によって、強く、深く、(多くの場合)知らぬ間に計り知れないほど大きな影響を受けているのです。つまり良い音・音楽をこの世の中にもっと増やしていくためには、お互いが何を”聞き”、何を求め、そのために何をしているのかをもっと知り合う必要があると思うのです。