その優れた職人(M氏)の手により全体性を取り戻した楽器からは、いままで聞いたことの無いような次元の音が出ていました。よく見られるような、圧力を上げることで得られる”音量”とは全く違う、音の色彩はあくまでも豊かで、遠くまで通るようで同時にその空間全体に拡っていくような音でした。まるで一瞬どこから音が聞こえてくるのか、楽器からの距離感や方向感覚を失うような感じなのです。”高次の倍音”とでも言えばいいのか・・いま思いつく言葉による表現としてはこれしかないのですが。その音に含まれているあらゆる”倍音”と呼ばれる要素のバランスが絶妙なのか、元々他の楽器に全くない要素なのか。そしてそのような音を楽器から引き出すには、なかなか現代の典型的な楽器に対するアプローチでは難しく、それ相応の弾き方があるように思うのです。

前述のニューヨークでの新作弦楽器展示会にはM氏自身の楽器も出品されました。その数週間前に、僕がしばらく楽器を預かり試運転をかね毎日丁寧に弾きこみ、ある本番でも一度使わせていただきました。まだ出来たてホヤホヤ、ニスも100%完全には乾いていないような状態でしたが、彼の手によって蘇った名器のように”高次の倍音”がでる、そしてこれからもどんどん成長して行くであろう素晴らしい作品でした。何十台も出品されていたその展示会のなかでも、一台だけ全くコンセプトの違う楽器であることは明白でした。

その日はオープニング・パーティーを兼ねていました。僕は数台試し弾きした後、展示場があまりの”騒音”に満たされていたのでパーティー会場に降り少しワインを頂いて、早々に失礼しようかと思っていました。するとある著名なソリストが大勢の人に囲まれながら試奏をはじめたので、しばらく観察して見ることにしました。