18年間住んだニューヨークのアパートメントから引っ越しました。これから日本での活動が中心になるのでNYの基盤を縮小するためです。住み始めたのは大学院を終了し、ニューアーク音楽院で教え始めて間もない頃でした。自分の望むような演奏家になるためには、根本的に自分の身体の使い方を見直さなければならないと決意し、また初めて「アレキサンダー・テクニーク」や「現代奏法ではないもの」に出会った時期でもありました。 

現代は良い演奏家も教師も国内に沢山いるし、海外から素晴らしい演奏家もやってくるし、情報はなんでも手に入るから海外に出る必要は無いと言う人たちも多いようです。全くその通りかもしれません。人は学ぼうと決心すればどんな環境でもそれは可能ですし、物事の本質を表現するのに西洋も東洋も関係ありません。

しかし母国以外の国で学んだり暮らしたりすることから得られることは「情報」だけではありません。その地の空気、水、人、文化に直接肌で触れられること。自分の生きている世界や文化の価値観だけが全てではないことを知ること。外から母国を客観的に見つめることで改めてその素晴らしさが理解できること。そして「孤独」を知ること。それは家族や友達と離れて「寂しい」思いをする、というような意味だけではありません。母国の「居心地の良さ」の中にいるときとはまたちがった自分の感性に気づかされることもある、ということです。

あの部屋での孤独な身体と音楽との対話の時間がなければ今の自分も、勿論まだまだ発展途上ですが身体と音楽に対する理解もなかったのだと思うと感慨深いものがあります。これからはもっと沢山の日本の皆さんと良い音楽のために一緒に学んでいけるかと思うと、なんだか初めてニューヨークに来たときのような不思議な高揚感にあふれています。やはり最近ニューヨークからラスベガスへ引っ越し新たな人生を始めた弟家族を訪ね、その後日本へ向かいます。