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(7月2日発売のサラサーテの記事に載せきれなかった文章に加筆したものです)
ここでまた言葉、身体の部分の名称についての説明をしなければなりません。「頭」と「首」の出会っている場所をみなさん正確にご存知でしょうか?「頭蓋骨」と「首」の一番上、つまり長い脊椎の一番上の「推骨」は、おそらく多くの人たちが思っているより上の方で出会っている可能性があります。一度確認することは有益なことだと思います。人は例えそれが間違っていたとしても、自分が「正しいと感じる」情報の影響を受けながら行動します。

「肩」とはどの部分を指すのか?「腕」はどこからどこまでを指すのか?と聞かれた場合、おそらく皆さん微妙に違う箇所を指差すことになるでしょう。「肩」は「上腕ー鎖骨ー肩甲骨」の3つの骨が出会う場所、つまり「関節」であると考えるのと、「あ〜肩が凝った〜」と言うときに触る僧帽筋の辺りであると考えるのとでは大きな違いがあります。また例えば骨格の構造を基準にすれば「鎖骨」も腕の一部ですし、細かい筋肉や筋膜など注目する基準を変えれば、厳密にどこからどこまでとはなかなか言い切れません。私たちは自分の身体の内の正確な関節の位置や筋肉のつき方などを、案外正確には意識しないで日常の動作を行っているのです。

身体の構造についての情報をクリアにすることは、その使い方を洗練させるために大きな助けになり得ます。最近はそれに関する本も本屋さんに沢山あります。僕もレッスンではそれぞれの生徒さん達にとってその時に必要だと思う情報には、自分の身体に注意を向けてもらうための「きっかけ」として必ず言及します。
しかし、解剖学的な知識を意識したアプローチもそれだけで完全なものではありません。身体の構造を隅から隅まで知り尽くしているはずお医者さんが、必ずしもその使い方の達人であるわけではないようにそれ自体が最も大事なことでは無いのです。さらには度を越した解剖学的アプローチには「精神」と「肉体」は分けられる、という考え方へ無意識に導かれてしまう危険も潜んでいます。

どんな言葉やメソッドにも常に「メリット」と「リスク」があります。例え特定の問題に対して目覚ましい効果があった情報でも、消化したら一度手放さなければならないのです。大事なことはそれぞれの知識を生かしつつ、精神と肉体を含めた「統合体」=「自己」で居られ、それが音楽と調和できるよう常に目指し続けること、なのだと思うのです。