小川 敦生さんの「ヴァイオリンの神秘」(下)が日経朝刊「美の粋」面に掲載されました。パガニーニを主題にした内容で、素晴らしい文章です。私のコメントが少しだけ登場いたしますぜひ、お読み下さい。

以下は記事に登場した私のコメントに少し補足説明を加えたものです。

このような興味深く、意義のある記事に協力させて頂けたことに感謝いたします。小川さん、ありがとうございました。

“パガニーニの肖像画 by ドラクロア” の演奏の姿について

ヴァイオリンの弾き方についてこのような絵や写真から何かを学ぶときに気をつけなければならないのは、常に”良い姿勢”あるいは”良いポジション”というものは存在しない、ということです。あるのは”身体の部分と部分の関係性”であり、それらは常に変わりゆくということです。絵や写真は一瞬を切り取ったものなので注意が必要です。

結果的に身体の中に良い”分離と統合”が存在していて、部分ではなく常に身体の全体性を意識して動けている人ほど、良いパフォーマンスをする事ができる可能性が高いと言えると思います。その観点からすると、この一瞬のパガニーニの姿は素晴らしい全体性をもっているとは言えません。

ただ、ある音、音楽を表現するときに身体の内側から溢れてくるエネルギーが、このように身体の中を通って捻れを起こす、音楽的なエネルギー、情動のようなもの自体は理解できます。

この身体の”内側”から生まれでたエネルギー、あるいは動きに対して、”外側”はある程度のオポジションが必要で、そのバランスの取れたある種の”緊張”や部分と部分の”対抗”がなければ、良い全体性は実現できません。

私はパガニーニは実際にはもう少し全体性をもって演奏していた、と想像します。正解はありませんが。。

あるいは、ドラクロアがパガニーニの演奏から感じとった音楽的な情動のようなものが加味され、すこし大袈裟に描かれているのかもしれません。(ほぼこのような格好をしていたが、例えばその身体の捻れなどが誇張されている)きっと、強烈な印象だったと思うので。写実が目的ではなく受け取ったそのパガニーニの演奏のエネルギーや感動のようなものを表現したかった。。

もう一つ指摘しておきたいのは、ドラクロアもヴァイオリンを演奏していたので、彼自身の理解する”ヴァイオリンの弾き方”がこの絵に影響しているであろうことです。どんなアーティストもその人自身の無意識の動き、身体の捉え方、感じかたや使い方、つまり身体感覚が必ず作品に現れていると私はいつも感じます。(by 志村寿一)