一口に”良い楽器”といっても、そこには材料となる木の材質や削り出された本体の”形”もさることながら、楽器に付随する全ての”部分”が関わってきます。職人の磨き上げられた手技による”良い形”を作るための、一つ一つの細かい作業が音に影響します。それぞれの楽器は人間と同じように生きた”固有の身体”をもっていて、一つとして同じ身体はありません。これは決して抽象的な意味での話ではありません。実際に湿度や温度、時間の経過による材質の変化、どんな駒を立てるのか、どんな魂柱やバス・バーをつけるのか、ネックの角度はどうか、どんな弦を張るのか、また誰にどう弾かれるのかによっても常に変化し続けひと時も同じ状態ではありません。

それぞれの部分が良くできていなければならないのは勿論ですが、”良い楽器”のために最終的に最も大事になってくるのは、それら無数の部分と部分の”関連性”なのだと思います。良くできた部分をただ集めたからといって、必ずしも全体がうまく機能するわけでないのは人間の身体と一緒です。機械とは違います。いや、繊細にできている機械は同じなのかもしれませんね。そして長い時間の経過の中でその”関連性”のバランスが崩れてしまったとき、メインテナンスする人が必要になってきます。そのときにもし間違った”治療”や”方向性”を与えてしまったら、それは人間に対して間違った手術や薬を与えたり、間違ったトレーニングをさせるのと同じようなことになるのだと思います。

非常に優れた耳と感性を持ったある職人の手によって、失われていた”関連性”もしくは”全体性”を取り戻すことにより、見事にその楽器本来の”声”を再生させるところを実際にこの耳と肌で体験しました。彼の施した繊細で細かい無数の作業内容は常人に理解することは非常にむつかしく、ましてや素人の僕には全く不可能ですが、その仕事の目指すところはただ一点でありはっきりと理解できました。それは、余計な”歪”や”縛り”や”圧力”といったものを丁寧に取り除いていって、楽器”全身”が本来動きたいように、自由に動けるように、全身にバランス良くエネルギー、振動が流れるようにしてあげる。ただそれだけなのです。