映画「日本国憲法」を観ていて感じたことを少し書きたいと思う。
まず素晴らしいドキュメンタリーで、僕個人も憲法9条は何よりも日本人のために、またアジア諸国との関係のためにも、世界の他の国との関係のためにも必要だったし、これからも必要であるに決まっていると思う。しかし、ここで書きたいのはそのこと自体ではない。どうすれば人に思いが伝わるのかということについてである。

この映画でインタビューに答えている人たちは皆、止むに止まれぬ熱い思いがあったはずである。きっと心の中ではとても怒っていたかもしれないし、「なんでこの大切さが分からないのか?」と悲しんでいたかもしれない。しかし、心に残った人たちの振る舞いはあくまで冷静でいて、確信に満ちたものに感じられた。その声は決して荒げることはなく心身一体となった良く響いたもので、そのリズムはよどみなく続く落ち着いたパルスにのっていて、大事なところにはアクセントがありその前にはかならずその準備がある。話の組み立ては明解でいきなり結論に飛びつこうと焦らない。

これらのことは音楽にとって大事なことと一緒だと思った。人が何かを表現するのには必ずなにか大きな感情の衝動があるはずである。しかし、その「衝動」あるいは「怒り」をそのままに相手にぶつけてもなにも伝わらないし、何か本当に良いものは生み出せないのではないかと思う。怒りの感情は抑圧してはだめだけれど、そのままに任せて表現し続ければ自らを傷つけることになるし、悪い政治家はそれを利用しようとし足元をすくわれることになる。

この危うい状況が理解できていて止むに止まれぬ「衝動」を持つ「まともな」人達からみたら、危機感も無く自分の頭で物事を考えることもしないように見える人達を見ているのは腹立たしいことだと思う。しかし、それでも人に何かを伝えるには、アレキサンダー・テクニークで言うところの「エンド・ゲイニング」(目的ばかりに急いで走ること)を抑制して、感情的にはならずに、まずは自らが心身一体で居られるようワークし続けながら、自分の「ペース」「声」と「手段」で表現し続けるしか無いのだと思う。